連続講座「新学習指導要領時代における学びの多様性をいかすための一貫した支援」

第2回読み書きに苦手さのある児童のタブレット端末活用のために

宮本 美哉(熊本市立帯山小学校LD・ADHD通級
指導教室)
公認心理師 学校心理士 臨床発達心理士

時代の流れが早い。3年前の熊本市はICT配置において全国政令指定都市で下から2番目だった。それが2018年、LTEモデルのiPadが3人に1台配置されトップランナーに躍り出た。1年前は今のコロナ禍の状況は想像できなかった。臨時休校を経験し、オンラインの素晴らしさを感じたり、結局は教師の在り方なのだと再確認したりした。

タブレット端末 学校導入前

選択肢だと100点だよ

選択肢だと100点だよ

通級指導教室での読み書きに苦手さのある児童の学習は、以前は医学モデルに則った治療教育に重きが置かれていた。様々なトレーニングをしたり、自己理解を図り、認知の特性に合う学習方法を工夫したりもした。

タブレット端末が社会に身近なものとなり、読み書きの苦手さのある児童にとって音声教科書やタイピングによる書字、アクセシビリティ機能による読み上げや音声入力が福音になると気づいたが、いくつもの壁に道を遮られていた。1つは児童や保護者の「自分だけ特別は嫌」という壁、もう1つは担任教師の「みんなと同じようにできるようにしてあげたい、しなければならない」という壁である。それをクリアしてもタブレット端末の単価が高価で壁になったこともあった。

読むことは情報入力、書くことは出力の手段である。早めに得意な認知の方法での学び方を取り入れなければ、知識不足、経験不足、そして成功体験の不足になりがちである。自己肯定感が下がりがちな児童に「あなたはできないのではなく、学校の学び方(教え方)が合わないだけ」と話し合うのは情けなかった。

タブレット端末「3人に1台」時代になって

教室にタブレット端末が入り、読み書きに苦手さのある児童にとって大きな喜びとなった。作文が苦手なAさんが「文を書く時は音声入力がいいよ。変換が違った言葉はフリック入力で打ち直すよ。」と意欲を持ち始めた。

Bさんは社会の新聞作りで効果を実感した。手書きでは漢字を使えず、ほぼ平仮名の文章で字形も整わない。書いたり消したりで用紙が破れたり、完成しなかったりした。タブレット端末では予測変換機能で未習漢字まで使って文章を書き、字体やフォントの工夫、イラストや写真の工夫もすることができた。印刷し、締め切り前に提出することもでき、大きな自信になった。

タブレット端末に文字入力をする学習をするうちに、読めたり書けたりする漢字が増えたり、文章力が高まったりする事例もあった。

教師側にも変化が出始めた。教育の本質、評価の本質を問う声だ。「作文や新聞作りの目的が、文章力、構成力、表現力の育成なら手書きである必要はないですよね」「歴史のテストの関心意欲のところはCさんは未記入だったけど『手書きで表す』ことへの関心意欲が低いだけで、歴史への関心意欲は高いです」と。

テスト:問題文をVOCA-PENで読み上げ

テスト:問題文をVOCA-PENで読み上げ

テスト:平仮名入力で挿入して解答

テスト:平仮名入力で挿入して解答

しかし、担任教師がそう気づいても同僚教師からの「書けないならどうすれば書けるようにできるか指導方法や学習方法を工夫し、児童にもさらに努力させることが大事じゃないのか」「高校入試は手書きで配慮はないですよ」という声に押し戻されることも少なくなかった。

タブレット端末を文房具として常時使用することや家庭に持ち帰ることを特例として認めてもらうこともあった。しかし、自分だけ特別視されることを嫌って使用しない場合もあり、広がりは限定的であった。児童のセルフアドボカシーを育てることも重要な視点だ。

また、在籍学級に文房具としての使用の前例がなく「他の児童にどう説明するか」や「授業中やテストに使用する際の約束事を決める」というすり合わせが必要な場面が多かった。それには学びの多様性の理解に加えて、地域中学校の定期テストや高校入試への合理的配慮の情報、新しい学力観の知見も必須だ。担任同士の関係性や学校独自の文化もあり、管理職の影響は極めて大きかった。

さて、熊本市では、デジタル教科書(指導者用)が導入され効果を上げている。昨春、デジタル教科書(学習者用)の個人購入が可能(交渉した教科書会社は「特別支援ニーズがある児童のみ」と説明)と知り、保護者が喜んで個人購入された。しかし、購入できるまでに紆余曲折あり、iPadにアプリやデータを入れるのに専門的な知識を要し、かなりハードルが高かった。使用した児童に聞いてみると、作品の筆者の動画は喜んで利用していたが、それ以外は音声教科書デイジーを使っているとの返事であった。

デジタル教科書(学習者用)はまだ紙の教科書をそのままデジタルにしただけと思える部分がある。デジタル教科書は単体ではなくデジタルノート、ドリルと一体化していくことで大きな力を発揮するだろう。デジタル教科書の使用時間の枠が取り払われ、利用者が増えることで開発が進むことを期待する。

「1人1台」時代へ

タブレット端末が1人1台配置された。これまでは教師が与えた情報を元に教師のペースで学習をしてきたが、今後はタブレット端末に保存されている資料やアプリ、検索した資料などを使って児童が自分で学ぶ時間が増えていくのだろう。

学ぶ意欲は高いが教師のペースに合わせることが苦手で、指示された以外の資料を見て叱られてしょんぼりしていたCさんには朗報である。また、障害とも言えないが音で聴く方が理解し易いDさんにとっても「特別」ではなくICT のアクセシビリティ機能を自由に使えることは素晴らしいことだ。

現在、文書を書くときにパソコンを使わない大人はほぼいない。ICTを使えばクリアできることに対して学校や社会が無用な努力を強いていないか、私たちの学力観を再考する必要がある。

宿題のプリントを写真で取り込み答えを挿入

宿題のプリントを写真で取り込み
答えを挿入

タブレット絵本の「糸をつむぐ」という言葉を画像検索

タブレット絵本の「糸をつむぐ」という
言葉を画像検索

通級担当者として

入級間もない頃や低学年のうちはトレーニングに軸足をおく場合もある。しかし実際の場面で成功体験を積ませてあげることが何よりも大切だ。それが可能となる一人一台時代。タブレット端末を児童の学びの道具にするためには、通級教室での新しい学習も必要になるだろう。

課題を紙データで提出しなければならない場合、手書きにするのか、ICT活用(キーボード入力:ローマ字・平仮名、フリック入力、音声・手書き認識ソフトを利用入力→印刷)するのかを考える学習もあるだろう。

光過敏のあるEさんはタブレット画面の明るさ調整なのかもしれないし、注意の持続が課題のFさんは「検索途中で関係ないサムネイルに惹かれて横道に逸れる自分」の自己理解と作戦タイムかもしれない。

第一回大学入学共通テストが実施された。大学入試が変わり、中学高校の学びも変わるだろう。私たちには未来につながる学力観と学びの多様性についてコンサルテーションしていくマクロの視点とその子に合う学び方をカスタマイズするミクロの視点が必要である。新しい時代を生きる児童の学びの伴走者となり、「あの先生に会ったら笑顔になれる」と思ってもらえるように、あの子と保護者の心の居場所の一つになれるように、これからも学び続けたい。